昭和7年創業 両国「下総屋食堂」 かつては都内に500軒、現存わずかな都指定「民生食堂」の面影を訪ねる

かつて都内に多く存在していた「民生食堂」。その役割と現在もわずかに残る同食堂のひとつ「下総屋食堂」の歴史について、都市探検家で軍艦島伝道の黒沢永紀さんが解説します。


夫の他界で1年休業も、常連のエールで復活

 民生食堂は、地域ごとに組合を作り、下総屋のある両国は錦糸町や押上界隈と同じ組合でした。

「一膳飯屋」という言葉がぴったりなシンプルな店内(画像:黒沢永紀)




 かつては十数軒あった会員の店も、今では押上と向島、そしてこの下総屋の3軒だけとなり、組合もすでに解散しています。

「今は9時半から営業してるけど、朝ごはんを食べる人がいなくなったね。スーパーやコンビニでおにぎりを買ってすませる人も多くなったし」

 それでも、ランチタイムは近隣で仕事をする人で混み合うようですが、ピークはそこまで。

 ときには「暇じゃないですか?」とたずねられたこともあったようですが、女将も「見ての通りですよ!」とキッパリ。2年前に旦那さんが他界し、約1年休業していました。しかしその間、再開を願う電話が何本もあり、再び店を開けた時には、ご常連さんが何人も来てくれたそうです。

フランス人がスマホで伝えた「おいしい」の言葉

 最近は、中国人や韓国人をはじめとした海外からの旅行者がよく訪れるといいます。

どれも優しい味わいの、タケノコと高野豆腐の煮付に鯖の味噌煮の定食(画像:黒沢永紀)

 パリから来た若いの女の子がひとりで来店した時の話。おかず棚をさんざん眺めたあげく、ご飯だけを注文し、醤油をかけて食べはじめました。

「あまりにかわいそうだったんで、おかずの盛り合わせを出してあげたわよ」

 2代目女将の暖かい人柄がうかがえます。パリの女の子は最初におかずだけをたいらげ、醤油かけたご飯を食べた後に、スマホの翻訳機で「とてもおいしかったです」と女将に伝えたそうです。

「飽食の時代」と言われて久しい現在、おそらく東京は、世界で最も外食の種類が豊富な都市かもしれません。少なくとも、朝は和食、昼には中華、そして夜はイタリアンがあたりまえの食生活になりました。

 しかし、たった5、60年前に食券がないと外食ができず、栄養もろくに摂れなかった時代があったことを民生食堂は教えてくれます。そんな時代に想いを馳せながら、優しい味のサバの味噌煮定食を、体の隅々まで沁み込ませました。


【写真】懐かしい、そしてなぜか落ち着く……都内にある路地裏の風景(8枚)

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