1953年完成も、解体間近の「中野駅前住宅」が伝える集合住宅の「原点」とは?
2019年9月5日
お出かけ中野駅前に、1953年完成の鉄筋コンクリート造のアパートがあります。その名も「中野駅前住宅」。こんな古いアパートはいったいなぜ今まで残ってきたのでしょうか。その歴史と詳細な造りを、都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。
竣工当時は高級だった
中野駅前住宅の装飾は、戦後の建物が突然変異のように無装飾になったわけではなく、戦争で中断されながらも、戦前から続く緩やかな変化の中で、徐々になくなっていったことを物語る数少ない証でした。

2つの居室はいずれも畳敷き。狭い台所にダイニングテーブルを置くスペースはなく、居室で卓袱台の上げ下げをする、いわゆる「お茶の間」が基本的な使い方でした。水洗トイレは当初から完備されましたが風呂はなく、後年になってベランダに施工されています。そのせいで、浴室内に外壁と窓がある、不思議な空間を生み出していました。
30平方メートルで2Kの風呂なし。いまから見ると設備も少なく狭い印象もありますが、幼少期からご家族3人でお住まいだった方に話をうかがうと、決して狭いと感じたことはなく、十分満足して暮らしていたとのこと。今より家電や家具のサイズが小さく、バリエーションもなかった時代。それほど物を置くスペースが必要なかったのかもしれません。
それでも家賃は、当時の価格で月に3350円ほどだったといいます。公務員の平均月収が8000~1万円、大学の初任給が約4500円の時代なので、決して安くはありません。竣工当時は高級なイメージのアパートだったことがうかがえます。
集合住宅の原点を忘れずに
住民の多くは、以前から隣接する14階建の「コーシャハイム中野フロント」へ移転し、2019年8月の連休をもって、最後の住民の引越しもほぼ完了しました。

コーシャハイム中野フロントは、風呂トイレやエアコンはもちろん、床暖房やミストサウナから家具転倒防止用の留め具下地、そして宅配ボックスも備えた最先端の集合住宅。平均17.5万円の家賃は、ちょうど中野駅前住宅の初期の賃料と同じくらいの価値でしょうか。そう思うと隔世の感が否めません。
中野駅前住宅はまもなく70年近い歴史に幕を下ろし、跡地には、巨大なショッピングセンターとタワーマンションの建設を控えています。戦後から令和へ。集合住宅は劇的な変化を遂げ、住環境も格段に向上しました。今後ますます進化を遂げ、AIの完全導入も時間の問題でしょう。しかし、集合住宅の原点のひとつ「狭いながらも楽しいわが家」がここにあったことを、記憶にとどめておきたいと思います。
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