水道橋駅から徒歩5分 「街角の公園」のルーツがあった 開園から90年間、今も変わらぬそのたたずまいとは?

水道橋から徒歩5分ほどの場所に、現在国内にある「小公園」の原点のひとつとなる公園があるといいます。その公園にはいったいどのような歴史があるのでしょうか。都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。


“帝国の未来を担う子ども”の育成が背景に

 火事を前提とした町づくりが行われた江戸時代、町角には必ず防火エリアとしての広場が設けられていました。しかし、維新以降の近代化で、いつのまにか広場を造ることを忘れてしまった結果、関東大震災では、地震被害よりも延焼被害が大きいという結果を生み出してしまいました。小公園は、この反省の意味も込められていたのです。

アール・デコ様式の噴水口が時代を伝える階段正面の壁泉(画像:黒沢永紀)

 また、公園には指導員がいたといいます。今では指導員がいなくても当たり前のように誰もが使う小公園ですが、この当時、小公園をより効果的に使うために、多くの指導員を配置していたというから驚きです。

 児童遊具を併設した小公園ができる以前、多くの子どもは路地で遊んでいました。不衛生さと危険を併せ持つ路地では、怪我をしたり、時には不良化することも懸念されていたようです。小公園に指導員を置くことで、学校以外の場所でも、健全な児童の育成、ひいては“帝国の未来を担う子ども”を育てるという目的が、指導員配置の裏にはあったともいわれます。

歴史的価値により、急遽改築案を見直しに

 残念ながら、52か所に造られた復興小公園は、そのほとんどが解体転用されたり、また造りかえられたりしてしまいました。そんな中で、この元町公園が唯一、1930(昭和5)年の開園時の記憶を今に伝えています。

開園時の姿を伝える藤棚。園内には何か所かの藤棚があり、集会時の演壇などにも使われた(画像:黒沢永紀)

 昭和50年代の後半に、老朽化の進行と障がい者用のスロープ設置の要望から、大規模な改築計画が持ち上がりました。そのもっとも大きなテーマは、近代的な明るい公園への改装。つまり、元々の姿とはまったく違う公園に生まれ変わる予定だったのです。

 折しも朝日新聞に、元町公園の歴史的価値を伝える東大教授の記事が掲載され、それを読んだ当時の改築の担当者が、都内に残る唯一の復興公園と知り、急遽改築案を見直すことに。すでにおおかたの設計が決まっていたのを押しのけての、復元案への路線変更だったようです。

カスケードは、表現主義を反映したデザインに


【写真】懐かしい、そしてなぜか落ち着く……都内にある路地裏の風景(8枚)

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