元気のない令和時代こそ、バブル期のむき出しな「欲望」が必要なワケ

豪華で派手すぎた過去の遺物として、否定的に振り返られがちなバブル時代。しかし、「1985-1991 東京バブルの正体」の著書がある、ルポライターで著作家の昼間たかしさんは、皆が自らの欲望に忠実だったバブル時代のパワーこそ、令和に必要だといいます。いったいなぜでしょうか。


「社会への刺激」が肯定されていた時代

 しかし21世紀の現在から振り返ったとき、バブル時代は実は天国だったのかもしれません。今の日本にはないものが確かに存在していたからです。もっとも大きな違いは、「自由と開放感」です。

バブルと言えば、巨大ディスコ、ミラーボール(画像:写真AC)

 現代人がバブル時代の羨ましさとして挙げるのは、「会社で経費が使い放題だった」とか、「就職活動が楽勝だった」という安易な部分ばかりでしょう。しかし、本当にバブル時代を羨ましいと思う根底にあるのは、なんの抑圧も感じず、誰の目も気にすることのない世界が広がっていたからなのです。

 単なる消費の欲望を超えて、自分の想いをひたすら自由に貫き通すことができる社会が、バブルの時代にはありました。そして、そのような自由を咎める人はいませんでした。

 SNSが全盛の現在、世間の価値観から外れた行動は幾分かの尊敬以上に、バッシングの対象となります。しかし、かつては変わったことから突飛なことまで、「社会への刺激」が肯定されていました。軽薄な行動は、「誰も考えつかないことをやっている」と賞賛されるのが当たり前でした。

 中でも変化が著しいのは、恋愛観でしょう。

 現在、恋愛はやたらと面倒くさいものになっています。交際する時点で好き嫌いの感情以外の、「余計なもの」が頭をよぎります。ましてや、結婚となれば将来の展望や人生設計をすぐに考えなければならないプレッシャーが襲いかかってきます。

 そういったものに対する恐れから、聞きかじった社会学の理屈を使って独身であることを肯定的に主張する人が増えました。結婚を人生のメリット・デメリットと考えて、ひとりで生きることを「是」とする人はもはや当たり前の存在です。

 現在は男女交際の場すら極端に限られています。バブル時代はナンパスポットの情報交換が当たり前に行われていました。ディスコであるとか、どこそこの街のどこそこのエリアとか、「ここは出会いの場」と暗黙の了解になるようなスポットが多かったのです。

 首尾よく交際がスタートしても、現代には「ふたりだけの世界」は存在しません。SNSを使っていなければ人に非ずと見なされる時代。誰もがなにかに取り憑かれたように、幸せな自分を演出しようと試みています。

 そして、同様な幸せを演出する他人に「いいね」をクリックながらも、自分のほうが優位であると再確認したり、嫉妬したりを繰り返す不毛な行為が繰り広げられているのです。バブルの時代、仲間内で集まり語らい合った自慢話に比べると、寂しさは拭えません。

自分の欲望に忠実になろう


【写真】伝説のディスコ「ジュリアナ東京」のDJだった、ジョン・ロビンソンさんの2019年現在の姿!

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