飛行機に乗らない「羽田」の旅 漁師町の面影と鎮座する大鳥居、古き良き街並みを散歩する

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飛行機に乗らない「羽田」の旅 漁師町の面影と鎮座する大鳥居、古き良き街並みを散歩する

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カベルナリア吉田

紀行ライター、ビジネスホテル朝食評論家

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「空港の街」になるずっと前から、東京を代表する漁業の街だった羽田町。その羽田町を紀行ライターで、ビジネスホテル朝食評論家のカベルナリア吉田さんが解説します。

穴守稲荷駅から出発

「羽田」というと、やはり「空港」を思い浮かべる人が多いでしょう。飛行機に乗り全国各地へ、海外へ。大半の人は「羽田から始まる旅」をしていても、旅先として「羽田を選ぶ」ことは少ないかもしれません。

万国旗がはためく商店街「穴守ふれあい通りサンサン会」(画像:カベルナリア吉田)



 そんな羽田ですが、実は散歩するほどに旅情を覚える街です。羽田が「空港の街」になったのは、その歴史の中で最近のことに過ぎません。「空港の街」になるずっと前から、羽田は東京を代表する漁業の街だったのです。

 大田区羽田へ行くなら京浜急行が便利です。大鳥居駅と穴守稲荷駅、どちらで降りても行けますが、羽田本来の空気を感じるなら穴守稲荷駅で下車するのがオススメ。

 駅を出ると、可愛いおべべを着たキツネの像「コンちゃん」がお出迎え。そして駅入口に立つ赤い鳥居をくぐると、駅前を横切る商店街は「穴守ふれあい通りサンサン会」。国際空港がある街にふさわしく、頭上に万国旗がはためいています。そして小さな店がひしめく通りは、東京下町のようなゴチャゴチャした雰囲気。自転車で走り抜けるオジさん同士が「ようっ!」とか声をかけ合って、なんだかいい感じです。

明治から昭和に、海苔の採取場として栄えた

 サンサン会から延びる路地を進むと、すぐ穴守稲荷神社に着きます。辺りが開墾されたのは200年以上も前。しかし海が近く、海岸の防波堤に開いた大穴から海水が侵入してきて、田畑を耕しても水浸しになってしまったそうです。

 そこで地元の人が豊作の神様を祀ったら、被害はなくなったとか。「穴の害から田畑を守る」神様は「穴守稲荷」と呼ばれ、今も町民の心の拠り所。商売繁盛、家内安全から開運厄除までご利益も幅広く、朝に参れば晩にご利益があるほど「即効性」もあるそうです。

参拝者が途切れない、穴守稲荷神社(画像:カベルナリア吉田)

 サンサン会を抜け、バス通りを東へ進むと、海老取川に架かる弁天橋に着きます。海老取川はすぐ先で多摩川に合流し、そのすぐ先で多摩川は海に流れ込みます。海に近い羽田では古くから漁業が行われ、特に明治から昭和にかけ、海苔の採取場として栄えました。

 弁天橋の欄干(らんかん)には、海苔漁業のさまざまな工程が、レリーフで描かれています。海苔を養殖する資材を作る「ひび作り」に「海苔取り」などなど。「浅草海苔」の多くが、ここ羽田で取れたという話もあり、浅草寺の門前で売られたから「浅草海苔」と呼ばれたとか(諸説あり)。今も羽田では漁業が行われていて、アナゴやエビが捕れるそうです。

 弁天橋を渡ると、左前方に空港の広大な敷地が見えます。そして右前方には、赤い大鳥居がそびえています。

歴史の証人、大鳥居

「羽田の大鳥居」の話を「祟り」の言葉と一緒に、聞いたことがある人も多いでしょう。
 いま空港がある場所に、戦前は羽田鈴木町と羽田穴守町、羽田江戸見町の「羽田三町」があり、多くの人が住んでいました。一方で昭和初期に現在の羽田空港の前身となる東京飛行場も開業しましたが、当初は滑走路が1本だけの小さな空港だったそうです。

 しかし第二次大戦後、一帯は米軍に接収され用地拡張のため、三町の人々に「48時間以内に出ていくように」という信じられない命令が下ります。約3000人の住民は着の身着のままで、住み慣れた土地を追われました。

今も街を見守る大鳥居(画像:カベルナリア吉田)



 今の空港敷地内にあった穴守稲荷も移転されました。しかし神社の大鳥居は、撤去しようとするたび事故が起こり、どうしても動かせない。結局大鳥居だけ、元の場所に残りました。周辺が開発される中、ポツンと残った大鳥居は不思議な存在に見えたのでしょう。事故の話と合わさって、いつしか「祟りの大鳥居」の呼び名で有名になりました。

 そんな大鳥居も20年ほど前、滑走路延長のため現在地へ移動。一部メディアが「再び祟りが?」と騒ぎましたが、丁寧に神事を行ったおかげか、移転は無事完了しました。そもそも長年にわたり、町民が信仰を寄せてきた神社の鳥居です。祟るはずがありません。

 目まぐるしく変遷した羽田の歴史の生き証人として、今も大鳥居は空港のそばにデンとそびえています。毎年夏には町を挙げて盛大な祭りが行われ、大鳥居の周辺は神輿を担ぐ男たちであふれ返ります。漁師町の祭りだけあって、羽田の祭りは勇壮そのもの。一度は見て、参加してみたいものですね。

島に迷い込んだ錯覚に陥る

 弁天橋からほど近く、海老取川が多摩川に合流する場所に細い桟橋が突き出て、先端に小さなお地蔵さんが立つ社(やしろ)があります。これは「五十間鼻」。昔は多摩川の終点付近に多くの水難者の遺体が流れつき、ここに社を立てて供養したそうです。

水難者の霊を慰める五十間鼻(画像:カベルナリア吉田)

 住宅街の道沿いには、ヒザの高さほどの煉瓦塀が、数百メートルに渡って続きます。これは高潮の防波堤として、大正後期から昭和初期にかけて造られたもの。というわけで街並みこそ変わりましたが、今も街角のあちこちに、昔ながらの羽田を伝えるものが残っています。

 多摩川河岸には何隻もの釣り船や漁船が折り重なるように係留し、今もひなびた漁師町の風情にあふれています。その向こうに空港があり、停機しているジェット機も見えるのが不思議です。そんな風景を見ている背後を、ねじり鉢巻の漁師風のオジさんが自転車で駆け抜けて、やはり大きな声で「よう!」「よう!」と声をかけ合い――どこか東京から遠く離れた、島にでも迷い込んだ錯覚に陥ります。

夜がふけたら散策の第二部へ

 羽田に出かけたら「夜の部」の散策も楽しみましょう。日が暮れると駅前のサンサン会と、脇道にも居酒屋の明かりがいくつも灯ります。勇気を出して、店の引き戸をガラリ。

漁船や釣り船が係留する向こうに、羽田空港が見える(画像:カベルナリア吉田)



「おっ、久しぶり!」

 実は羽田を何度も歩いたら、行きつけの店が数軒できました。どの店もご主人が威勢よく迎えてくれます。ヨソ者を敬遠する雰囲気は、羽田の居酒屋にはありません。

 先日訪ねたときは、注文していない蛸(たこ)の刺身が出てきました。「俺が今日釣った奴。江戸前だよ!」とご主人嬉しそう。ほかに江戸前の鯵のフライや刺身も並び、羽田は漁師の街なんだなあと改めて感じました。

さらに、

「お兄さん、どこから来たの?」

と声をかけてくる隣席の地元の人。

「今日は羽田に泊まっていきなよ」

「いい体してるね。祭りで神輿担がない?」

 1杯だけのつもりが2杯、3杯。漁師町・羽田の夜は濃密に、そしてエンドレスにふけていきます。

 今は気軽に羽田から飛行機に乗り、旅行に出かける人も多いでしょう。でも空港があった場所に、かつて多くの人が住んでいたことも、知っておきたいところです。

 磯の香りと旅情が漂う街・羽田。皆さんもたまには「飛行機に乗らない」羽田の旅を、楽しんでみてはいかがでしょうか。

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