バブル期の熱狂「ジュリアナ東京」とは何だったのか? 芝浦に突如出現、その歴史を振り返る

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バブル期の熱狂「ジュリアナ東京」とは何だったのか? 芝浦に突如出現、その歴史を振り返る

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山下メロ

平成文化研究家

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バブルの象徴として今も語り継がれているディスコ「ジュリアナ東京」。当時の盛り上がりとその背景について、平成文化研究家の山下メロさんが解説します。

ディスコとは何か、ジュリアナとは何か?

 私は平成の文化を「平成レトロ」と呼んで研究しており、中でも特に、現在と大きく文化が異なる平成初期を専門的に扱っています。1989年(平成元)年の頃はちょうどバブル絶頂期で、東京に新しい名所がどんどん誕生しました。そんな平成初期に盛り上がっていた東京を振り返っていきましょう。

ジュリアナ東京は、バブルの象徴として今も語り継がれている(画像:写真AC)



 2019年4月30日(火)に平成から令和への特別番組「ゆく時代くる時代~平成最後の日スペシャル~」がNHKで放送されましたが、その中で平成の象徴として「大阪ジュリアナ東京」(大阪市)からの中継がありました。

 バブルを象徴するディスコ「ジュリアナ東京」の名前は有名だと思いますが、なぜ「大阪」がつくのでしょうか。ジュリアナ東京の歴史とともにひも解いていきたいと思います。

 まず、ディスコから説明していきましょう。ディスコとはレコードなどに収録された音楽を再生して、お客さんに踊ってもらうダンスホールのこと。

 第二次世界大戦中、ドイツの占領下にあったパリにおいてバンド演奏が禁止されていたため、かわりに生まれたのがレコードを再生するスタイルの「ディスコティーク」です。それが1960年代にニューヨークで発展、現在のようにDJがレコードプレイヤーを2台使って間断なく曲を繋ぐスタイルへと変化していきました。

 日本では1970年代に最初のディスコブームが起こります。その後はスタイルや音楽ジャンルの変化などを伴いながら現在のクラブシーンへと続いていきました。

 ちょうどユーロビートが流行していた1980年代末期に、中心地が六本木から湾岸地区へ移っていきました。それが「ウォーターフロント」として栄えた東京都の港区芝浦です。空き倉庫やその跡地を利用した大規模なディスコやライブハウスが多数開業しました。

「荒木師匠」という有名人

 1991(平成3)年5月15日(金)、その芝浦にジュリアナ東京が誕生します。正式名称は「JULIANA’S TOKYO British discotheque in 芝浦」です。バブル経済期の終わりごろ、後発ながらも外国人DJのジョン・ロビンソンによる英語で叫ぶパフォーマンスや、テクノという新しい音楽スタイルによって人気を獲得しました。

 一般客の女性が登って踊れるステージ、通称「お立ち台」も話題となりました。そこで流行したのが、体のラインが強調される「ボディコン」と呼ばれた服装とワンレングスヘア、いわゆるワンレンボディコンです。

 そこに、ジュリアナグッズだった扇子で踊るスタイルが発生し、中でも持ち込みの羽根つき扇子が注目を集め、「ジュリ扇」と呼ばれるほどに定着していきました。

ボディコンにジュリ扇の女性をディフォルメしたボールペン商品まで売られていた(画像:山下メロ)



 ボディコンを身にまとい、ジュリ扇を使ってお立ち台で踊るスタイルやテクノミュージックなど、ジュリアナ東京で生まれたカルチャーは他のディスコにも波及していきました。

 そしてエイベックストラックスをはじめ、各レコード会社のレーベルからジュリアナ東京のコンピレーションアルバムが発売され、大ヒットしたのです。マスメディアによる取材も過熱し、話題が話題を呼び連日数千人が訪れました。さらにお立ち台で踊る女性からは、荒木師匠(荒木久美子)という有名人まで排出したのです。

 その後、お立ち台で踊る女性の露出度が高くなっていき、1993(平成5)年のお立ち台撤去など警察による指導が入るようになりました。そしてバブル崩壊後間もない1994年8月31日(水)に閉店したのです。

 バブルの終わりに少し存在しただけなのに象徴にされている……などとよく言われるジュリアナ東京ですが、そうでもありません。バブル経済期に盛り上がっていった芝浦ウォーターフロントに誕生し、あっという間に流行を作っていきました。

 実際は、バブル崩壊を挟んで3年ほどしか営業していないわけですが、その短い間にバブルの最後の輝きのようなとてつもない文化を生み出したのです。1980年代を引きずるバブルとはまた違う、真のバブルと言えるでしょう。

 ボディコンの女性がジュリ扇を振っていた期間は本当に短く、バブルの終わりごろ、日本の首都・東京の一部のディスコにおける局地的な現象だったのです。

「ジュリ扇」は今も買える

 そして冒頭で紹介したように、1994年に閉店したバブル時代の東京の象徴であるジュリアナ東京が、大阪で「大阪ジュリアナ東京」として復活したのです。大阪なのか東京なのか、非常にややこしい名前です。

 しかも大阪ジュリアナ東京の正式名称は「JULIANA’S TOKYO BRITISH DISCOTHEQUE IN OSAKA」。つまり、東京で英国式で大阪。これはもう「千葉県にある東京ドイツ村」、または「名古屋で台湾ラーメンのアメリカンを食べる」、もしくは「青森でイギリスフレンチトースト(ピザ風)を食べる」ような複雑さを生んでしまっています……。

 というわけで、今や大阪に行ってしまったジュリアナ東京のない芝浦は、今では高層マンションが立ち並んでいます。ぜひバブルの思い出や残り香を探しに、ジュリ扇を持って田町駅からウォーターフロントへ行ってみてください。ジュリ扇は今も安く買えますよ!

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