明治天皇にも献上 銀座木村家が150年貫く、不変の「あんぱん哲学」とは
2019年6月9日
知る!TOKYOあんぱんの元祖といえば、創業150年を迎えた銀座木村家。日本のパン文化の広がりに大きく貢献した同店。創業時から変わらないこと、変わったこと、あんぱんが手のひらサイズである理由を聞きました。
生身の感覚から「毎日同じものを作り出す」
あんぱんの歴史も古いですが、ジャムパンの歴史もまた古く、誕生は明治22(1889)年。ビスケットから着想を得て、作り始めたといいます。なお、あんぱんの誕生は明治7年で、こちらの着想のヒントは「酒まんじゅう」なのだとか。

当時、すでに「パン」自体は海外から伝来し、出回ってはいたものの、口当たりのハードな、固いものだったといいます。まだイーストも出回っておらず、パンの工程に必須ともいえる「発酵」が難しかった時代でした。
そんななか、誕生したあんぱんは、日本人の口にもよく馴染み、生まれてすぐに人々の注目を集めました。
「当時、店の床が壊れそうなくらい、人が来たと伝え聞いています。そこから人気に火がつき、明治8年に天皇に献上するきっかけに結びついたようです」
そんなあんぱん、今と昔とでほぼ変わらないといいます。材料が変わらないのではありません。職人たちが毎日、自らの感覚を駆使し、同じクオリティの生地を生み出しているからです。
「一番長い人で、勤続50年くらいでしょうか。70代の方もいらっしゃいます」
酒種を扱う職人が丹念に生地を作り上げたあとは、別の職人たちがパンの形成を行います。週末には約1万個のあんぱんが焼かれ、店に陳列されるという同店。成形は、7、8人の職人の手で行われているそうです。
「すごいスピードでつくっています。生地を一定のサイズに分割するところだけは機械ですが、それ以外は全部手でやっているんです。あんを詰める作業も、計量せずとも、何回やっても同じ重さにできちゃうんですよね」
いずれの職人も、湿度、温度、天候などが日々移りゆくなかで、どうやったら「同じパンを世に送り出せるか」を考え、調整を図っているといいます。
「日々考えながら作っていることが、側から見ているだけでも伝わってきます。同じものを作り出すのが、使命であり、技ですから。『作業』を繰り返すだけでは出来ないことです。本当にすごいんですよ。尊敬しています」
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