歌舞伎劇場がないのになぜ「歌舞伎町」? その成立から現在までを振り返る

世界有数の歓楽街・新宿歌舞伎町。その成り立ちと変貌を遂げる様子を、まち探訪家の鳴海行人さんが解説します。


歌舞伎町と呼ばれる理由は?

 鈴木は、東は現在の区役所通り、西は現在の西武新宿駅、北は現在の新宿東宝ビル(ゴジラヘッドのあるビル)、南は靖国通りに囲まれた一帯を「道義的繁華街」とする計画を立てていました。「道義的繁華街」とは、映画館や演芸場、ダンスホールなどを中心にした街づくりで人を呼び、周辺の商店も潤う健康的で文化的なにぎやかな街にしようというものです。

平日も盛り上がりを見せる歌舞伎町(画像:写真AC)

 鈴木はまず地主を説得し、続いて東京都で戦後の復興計画を担当していた石川栄燿(いしかわ ひであき)のところへ計画を持っていきます。すると、「広場」や「市民のふれあいの場」が必要だという持論を持つ石川は大いにこの計画に興味を持ち、歌舞伎町の都市計画を策定します。

 鈴木と石川は、新宿東宝ビル前の広い街路やその西にある広場(シネシティ広場)を設けるなど広場を意識した街づくりを行い、街ににぎわいをもたらそうとしました。さらに新宿東宝ビルのところに歌舞伎劇場「菊座」を設けることにしました。そこで街につけられた名前が「歌舞伎町」という新しい名前でした。

 しかし、この都市計画のうち、広場はできたものの、菊座をはじめとする建物の建設は実現することはありませんでした。実は当時、資材不足などの理由により政府から建築規制が相次いで発令され、建物の建設ができなくなってしまったのです。その結果、歌舞伎劇場の計画はなくなってしまいます。

道義的繁華街から風俗街へ


歌舞伎町にオープンした、現役ホストの寿司店とは?

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