誰が名付けた福神漬?名前の由来と不思議な形をした具の正体に迫る

カレーのお供として有名な福神漬。東京上野の老舗酒悦が生んだこの漬物には、なぜ「福神」という名前がついているのでしょうか?そして福神漬には、見慣れない野菜が入っています。剣(つるぎ)の形をした、なた豆です。なぜ福神漬にはなた豆が入っているのでしょうか?福神漬の命名由来となた豆が入った理由について、食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。


福神漬の剣の形をした野菜は「なた豆」

 東京は上野にある老舗、酒悦(しゅえつ)が生んだ福神漬。

 カレーのお供として有名なこの福神漬はなぜ「福神」という名前なのでしょうか?

 また、福神漬の中には、剣(つるぎ)の形をした見慣れない野菜が入っています。

福神漬のなた豆(画像:近代食文化研究会)



 この野菜の名前はなた豆。インド原産の豆で、室町時代末期に日本に渡来しました。この豆をさやごと輪切りにすると、剣の形になるのです。

なた豆(画像:photoAC)

 他の野菜(大根や茄子、蓮根等)の中で異彩を放つ珍しい野菜、なた豆。なぜ福神漬には、なた豆がはいっているのでしょうか?

今回はこの2つの謎について解き明かしていきます。

「福神漬」命名のいきさつ

 酒悦の依頼を受け、福神漬という名前をつけたのは作家の梅亭金鵞(ばいていきんが)です。

 江戸時代から明治時代にかけては、作家がコピーライターの役割を果たしていました。そこで酒悦が梅亭金鵞に対し、新しい漬物に何か良い名前をつけて宣伝文を書いてくれないかと相談したのです。

 その相談の場に居合わせた弟子の鶯亭金升(おうていきんしょう)が、その時の様子を座談会で話しています(江戸趣味漫話『食道楽 1931(昭和6年)2月号』)。

 相談を受けた梅亭金鵞は、酒悦の店の前の風景を思い浮かべます。当時の酒悦は、現在の場所(上野中央通り沿い)ではなく、不忍池の方角を向いていました。

1918(大正7)年頃の酒悦周辺地図 『古老がつづる下谷・浅草の明治、大正、昭和 Ⅰ』より引用(画像:近代食文化研究会)

 酒悦の正面には、不忍池の中央にある弁天堂がありました。

不忍池の弁天堂(画像:photoAC)

 弁天様といえば七福神の一人。そこで梅亭金鵞は、野菜の数を七種類に増やすことを提案。
七福神にあやかって福神漬と命名します。これが福神漬の命名由来です。

 そして「この漬物があれば他におかずはいらない、食費が浮くからこの漬物は福の神」という趣旨の宣伝文(コピー)を作りました。

  ”試しに食べて見ると、なたまめとか大根とか紫蘇などは入つて居り、醤油で煮てある。”

 鶯亭金升によると、七種類に増やす前から、その煮物(福神漬は漬物の煮物です)にはなた豆が入っていました。つまりなた豆は、七福神野菜の初期メンバーだったのです。

江戸時代の料理書におけるなた豆

 料理書研究家の川上行蔵によると、インド原産のなた豆は日本料理にはなじまなかったそうです。江戸時代の料理書を見ても、これといったなた豆定番料理はみあたらないそうです。

 “「なた豆」の莢(さや)の料理法だが、今までの記録を集めて眺めて見ると、この品は利用しにくい材料であって、和え物にしてみても、煮物にしてみても、汁の実や吸物種にしてみても、どうもシックリ適合しないものらしい。” (川上行蔵『つれづれ日本食物史 第一巻』)

 しかしながら一つだけ、なた豆に適した食べ方がありました。酒粕漬です。

 ”ただ一つ酒粕漬の香の物だけが、三百数十年の検討の結果発見された「なた豆」の唯一の適役だったのである。” (同上)

小田原屋主人『四季漬物鹽嘉言(しおかげん)』(1836年)より刀(なた)豆粕漬記述部分(画像:国立国会図書館ウェブサイト)

 そして明治時代以降も、なた豆はもっぱら漬物用の野菜として扱われることになります。

人気の漬物用野菜だった明治時代の東京のなた豆

  作家の永井荷風は、エッセイ「東京年中行事」のなかで、東京の八月を代表する野菜として、里芋、枝豆とともになた豆を挙げています。なた豆は枝豆なみに出回っていた、人気の漬物用野菜だったのです。

 石井研堂『明治事物起原』によると、その形状がなた豆に似ているということで、携帯用の短い煙管(きせる)に「なた豆煙管」という愛称がついたそうです。誰もが知っていたからこそ、なた豆が名前についたのです。

なた豆を描いた漫画 谷脇素文『社会百面相』より(画像:国立国会図書館ウェブサイト)

 これは1931(昭和6)年に東京で発表された漫画。

 囲炉裏の火のついた炭でなた豆煙管に火をつけたいが、金属製の丸い火箸では滑って危ないので、なた豆の漬物で炭をすくって煙管に運ぶ、という意味です。

 現在の我々には理解しづらいのですが、なた豆に慣れ親しんでいた当時の東京の人は、この漫画の意味を理解し楽しんでいたのです。

 このように漬物用野菜として人気だったため、なた豆は福神漬の初期メンバーとして選ばれたのです。

なた豆はなぜ消えたのか

 東京人の日常に溶け込んでいたなた豆は、なぜ我々の目の前から消えてしまったのでしょうか?

 その理由は、日本人の漬物離れにあります。

 戦前の東京の食事は、ご飯に大きく依存していました。非肉体労働者であっても、成人男子ならば毎食茶碗三杯のご飯を食べるのがあたりまえ。おかずが少ない分、ご飯からカロリーとタンパク質を摂取していたのです。

 大量のご飯を食べるための食欲増進剤として、漬物は食卓に必須のものでした。

 ところが高度成長時代以降、ご飯の量は減り、おかずの量は増えていきます。一杯のご飯を、量が増えたおかずで食べるようになるのです。こうなると、漬物は不要となってきます。

 福神漬の野菜のうち、大根や茄子、蓮根やきゅうりは、漬物以外の様々な料理に使うことができます。

 ところがなた豆は、漬物以外の料理には向かなかったのです。

 こうして日本人の漬物離れとともに、東京からなた豆は消えていってしまったのです。


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